知らない間に、ぼくらは世界に線を引いていたんだ

先週起きた、パリの同時多発テロ
300人を超える犠牲者が出たとのことで、いまだ増えているとか?


生還した人が綴る生々しい文章や、銃声の中逃げていく人を映した生々しい映像まで。


自分がそこにいたら・・・、なんて中々想像しにくいわけだけれど。


しかし、かつてのテロの報道にも増して、世間の扱いがとてもとても大きいような気がしている。
なぜだろう。。



マスコミが大々的に報じているから?
テロが同時多発的だったから?
中東じゃないから?
シャルリ−・エブド事件の記憶が蘇ったから?
インターネットに体験を投稿する人が多かったから?(知人の知人がパリのサッカー場にいたけど無事だったとFacebookにまわってきた。)
西側先進国の首都だから?
先進国で起きたテロの中でもとりわけ死者が多かったから?
FaceBookがアカウントをトリコロールにする機能を早々にローンチしたから?
途上国や中東よりも自分達の生活に近くてリアルだから?



トルコ・アンカラでも100人以上が亡くなった。
シリアでは空爆も続いているし、ISISと現地民族による戦闘が続いている。
パリの同時多発テロの前日、レバノンの首都ベイルートでテロが有り40人以上が亡くなったことを知っている人がどれだけいるだろうか。
(私は知らなかった。)



オバマ大統領が語った「われわれが共有する普遍的な価値観を狙ったものだ。」という言葉。


私たちは無意識のうちに、線を引いているんだ。


こちら側は、平和で恵まれていて衛生的で、ときどきは危ないこともあるけど平穏で文化的にも高度に発達した社会。
あちら側は、治安が悪くて生活レベルも低くて衛生状態も良くなくて、文化も生活レベルも遅れている社会。



あちら側では、どんなことがあっても自分とは関係ない世界の出来事で、かわいそうとは思うけどいまいちリアリティを持てない。
どんな大事件があっても、そんなことがあったんだ!!と一瞬思ってすぐに風化していく。



たまにこちら側で事件が起これば、メディアはセンセーショナルに騒ぎたて、政治家は立ち向かうことを宣言し、SNSでは安否確認情報が駆け巡り、IT企業はキャンペーンをうつ。



ボスニア紛争では、アメリカのPR会社が様々なプロモーション戦略でボスニアに有利なように世論を形成していったらしいけど、西側の首都での同時多発テロ、中東に比べてこんなに世の中の動きが違うことを思うと、何か裏にいるんじゃないかって考えちゃうけどね。。



どこの世界でも、自分の近くで突然テロや戦闘が起きたらと思うとゾッとするよね。
それは、世界中どこにいる人にとっても、きっとそうなんだと。
やはり自分自身、今回の事件の方がより生々しさを感じたから、この感覚を書き留めておきたかった。
集団の雰囲気に呑まれていること、知らない間に世界に線を引いているということを、時々は振り返らないと、つい忘れてしまう、思考停止して流されてしまうってことをね。