変化の時代に


今日は昨夜の続きを書こうと思ってたんだけど・・・

こっちに惹かれました。

Winny開発者に2審で逆転無罪



1審の有罪判決が出たのが2006年12月だから3年前。

当時、なぜ有罪判決なのかさっぱりわからなかった。

今回、記事を読みなおしてみると・・・





やっぱりこれは無罪だろ、って。

思ったことは同じでしたね。


罪状は著作権侵害の幇助罪(ほうじょざい)。

つまり、Winny著作権侵害を目的に開発されたものだ、とする判決だ。

ありえない。常識的に考えて。

しかも民事じゃなくて刑事訴訟だからね。

検察に至っては「被告人が著作権法違反蔓延を意図してWinnyを公開した」なんて主張している。

こういう特殊な世界にいる人には、『普通』の考え方が欠落するのかしら。




2006年には、もう十分ネットが社会に浸透していたとは思うが(もちろん現在も進化の過程だが)、
それでもネットをあまり認知しない人もいたのだろう。

Webサービスやその開発者という、新しく表れた新進的でよくわからない(と当時の裁判官は思ったかもしれない)ものに対し、
十分な理解がないまま、奇異の眼差しを向けたのかもしれない。


そういうことを考えていると、ちょっと思い出したことが。




コミック、金田一少年の事件簿

これの、臓器密輸が取り扱われた「金田一少年の殺人」編を最近再読したんです。

臓器密輸とは、当時臓器移植が出来なかった日本に、海外から臓器提供者を連れてきて、
高額で臓器の売買を行うこと。

その片棒を担がされた人物が、告発されることを恐れて殺人をするストーリーなんですが、
主犯の医師が悪そ〜なニヤケ顔で次のようなセリフを吐くんです。


「臓器が欲しい人に臓器が渡り、それで提供者の生活も潤う。」


この一作の中で、臓器密輸を行って私腹を肥やす行為を悪の権化のように描かれており、
オレも子供心に、臓器を人から奪って金儲けするのって悪いことなんだ〜、って思ったけど。



今読むとどうですか?

密輸は悪いけど、法がついてってないんじゃない?

この人の言うことも一理あるよね、Win-Winだし。

技術が必要で誰にでも出来ることじゃないし、ビジネスとして成り立つじゃん。

って、思いませんか?




価値観は時代と共に変化する。




遺伝子やDNA、果ては生命の誕生まで操作できるようになった医学の進歩に対し、
モラルや倫理という価値観は切っても切れないものになってきて久しい。

しかし、人間が絶対に好奇心に勝てないのは、日々神の領域に近づく医学の進歩を見れば明らかだ。

そして、進歩し続ける医療技術に対して、法整備は常に後れをとる。

これはITテクノロジに対しても同様だ。



Winnyに話を戻すと、これは未完の技術の結晶だった。

確かに開発者には著作権保護の機能を実装することも必要なことだが、
IT製品・サービスが、常に完成してから世に出るようでは、テクノロジは進化しない。

OSやブラウザは、PCのクラッシュの危険性を発しながらβ版として未完成のまま世に出るし、
mixiやアメーバ、はてななどのWebサービスも日々機能を拡張・改善が行われている。

世に出てユーザーの声、市場の反応を見聞することで、テクノロジは進化してしていくのだ。



だから、法整備が進化についていけないことは仕方のないこと。

罪刑法定主義の見地で物事を見れば、先進的なことは
時にWinnyのように法で叩かれ、
時にインターネット黎明期の愉快犯がばら撒いたウィルスの如く、取り締まれないものもある。

法律が正しいわけでも何でもない。



こんな変化の激しい時代に大事なのは、
変化に逆らったり恐れたりせず、
変化を受け入れ、
変化に飛び込み、
変化を楽しみ、
変化に対する自分の付き合い方を知る。

そういうことじゃないかな、と思います。





医療の進歩と倫理観について、この本はなかなか面白いと思います。

エンブリオ 1 (集英社文庫)

エンブリオ 1 (集英社文庫)


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