尾崎豊の社会に与えた影響とか、そんなものに意味なんかなくて

成人の日の朝日新聞の社説が酷かったとかで、朝日新聞尾崎豊がやたらdisられてるけど。
直接バッシングされてるのは朝日新聞だけど、やはり尾崎に対する風当たりも根強い。
亡くなって20年経って尚世間の批判にさらされる。
改めて、尾崎豊は偉大なアーティストなんだなぁと思うわけです。



世間が何と言おうと、オレは尾崎豊の曲や思想が好きだし、アンチが一方的なイメージで酷評すればするほど、彼の偉大さを感じる。
そういうスタンスで今日は書きます。



彼が活躍したのは80年代〜90年代前半。
日本は高度成長期の末期、バブルを経て失われた20年に突入する時期で、大人は会社への滅私奉公が当たり前、
中高生は受験戦争と詰込み教育真っ只中。
2012年現在、「学校の教育方針は個性を殺して画一的な人間を育てる前時代的なものだ」なんて批判される一面があるけど、
80年代の教育方針と現場の実態は推して知るべしですね。
彼のように強烈な個性を主張する者が生きていく世界では到底なかった。
世界的にも冷戦末期、共産主義が崩壊に向かい世の中が大きく変化する前夜に、
自由とは何か、正義とは何か、愛とは何か、世の中への疑問と自身の信条を全力で表現したのが、尾崎豊だったわけです。


そんな彼の思想と音楽が美しい容姿と相まって、若い世代を中心に共感を集め、カリスマとして崇められ受け入れられていく。
これはもしかして、彼にとってある種不幸なことだったのかもしれませんね。


彼は別に社会を変えようとしたわけではなかったと思うんです。
社会に何かを問おうとしたわけではなかったと思うんです。
ただ、彼にとっての表現方法が歌だった。


植村直己が山に登るように、
ピカソが絵を描くように、
アンデルセンが童話を書くように、
高橋尚子が走るように、
イチローがバットを振るように、
村上龍が文章を書くように。


尾崎豊にとってそれは、歌を歌うことだった。


頭の良い人ほど、「尾崎豊が社会に与えた影響とは」とか考えるけど。
そんなものは無いんだと思う。
尾崎はきっと、そんなことを考えて歌を歌っていたわけではなかったと思うんです。


自由とは何だろう、正義とは何だろう、愛とは何だろう。。


そんなことを考え、迷いながら、カリスマとして高められていく自分に戸惑いながら、苦しみながら、
表現し続けたんじゃないかなぁ。。
それを受け取るメディアや世間によって、過剰に意味付けられた側面は否めないと思うんだ。


彼の生き様は、決して尊敬できるようなものではなかったけれど、表現者としてはカリスマであったし、天才だった。
まさに、Artistだった。


だけど、正直この時代に受け入れられ難いというのはよくわかる。
「前向きな時代のエネルギッシュな曲」じゃなく、「等身大の日常の中に幸せをみつけよう」という、
みつを風なメッセージが、今の世の中には受け入れられている気がする(完全に主観)。
2012年現在、ここまで彼を有名にしているのはメディアの影響であり、死して伝説となった感は否めないね。



校舎の窓を割ったり、バイクを盗んだりする歌詞が有名になりすぎてそのイメージが先行しているけれど、
彼が表現しようとした思想は決してそんなもんじゃない。
知らない曲も多いからはっきりとは言えないけど、面白いのは年を追うごとに詩のメッセージや込められた感情が変わっていく部分。
中でも彼の思想が最もストレートに表現しているんじゃないかなーと個人的に思うのが、この曲です。



じゃ。