ちょこっと考えて一工夫
今日は予定よりも遅く起きて、午前中はダラダラ。。
(今年に入って多分始めて。。)掃除を始めたらなんだか色んなところが目について時間を食う。。
(まぁいつものことだ)
油断していると狭い部屋に色んなものが散らかって、段々それが増えていく。
本棚もそろそろいっぱいだ。
家具・家電も一人暮らし始めた頃に用意したものばかりだから、そろそろガタがきているし。
今住んでる部屋が二年契約でもうすぐ満了。
いっそもっと住みやすいところに引越してしまおうか、家具も買い換えてしまおうか、というもう何度目かの声がどっかから降りてくる。
だが、それはいつも3秒後に打ち消される。
我々は、このあまりに便利な生活に慣れすぎてしまった。
スイッチ一つでご飯は炊けるし洗濯をしてくれる。
料理なんかしなくても、安く弁当や外食を調達できる。(それでも自炊の方が安上がりだが)
最近は電子レンジでほとんどの料理ができる。
雑巾がけなんかしなくても、掃除機とダスキンがあればサクっと掃除できる。
手帳を開いてメモなんかとらなくても、携帯にちょいっとメモしたら足りるし、
会議の議事録なんてとらずにレコーダーやデジカメで記録がとれる。
この便利さの代償。
我々は工夫することを忘れてやしないか。
面倒なことに対して、なんとか楽に済まそう、なんとか効率的にさばこうとするのは、パズルを解くことに似た楽しさがある。
1の手間を掛けるだけで10の手間を省くことには、手間を0にしてくれる便利なツールやサービスを利用する以上の気持ちよさがある。
また、我々は危機感も持つべきだ。
発展を続けるIT業界において、プログラミング言語の発展は、誰もが以前より遥かに簡単にソフトウェアを作ることを実現させた。
コンピュータのスペックも上がり、以前よりも遥かに設計の際の制約が少なくなった。
慢性的な人材不足と言われるこの業界で、新卒採用で文系学生をとるソフトウェアベンダーは珍しくない。
しかしその反動で、PC内部の構造を理解し、的確にリソースを使って設計・開発を行うレベルの高いエンジニアの割合は、とても少なくなってしまったという。
今の我々を江戸時代の町人を比べたときに、知識は(詰込教育のおかげで)圧倒的に優っているだろうが、知性と言う点では果たしてどうだろうか。
不便な部分を自分で工夫すること。
本質をつかむこと(ムダを削ぐ)。
この狭い部屋でもう少し快適に暮らせるにはどうしたらいいか…
と考えてたら、ムダなものが色々目についてきて。
不要なものを大胆に処分して、家具の位置を変えたらかなり暮らしやすくなるのでは。。
工夫する姿勢をもう二年くらいで身につけて、次の家に引っ越すつもり。
まぁ関東にいる限りは。
…と言ってみたけど、今は物件探しと引越しがメンドクサイのと金かけたくないが大きな理由ですw
立地としてはだいぶ慣れてきて住み心地悪くないしね。
キッチンが狭いのには閉口するが。
(それも工夫。。)
PC買って一月、ようやく7にアップグレードして使えるようになった。
スゲェメンドクサイって聞いてたけど意外とサクっと。
nojimaの店員が「私は1日がかりだったのでオススメしないです」って言ってたけど、一体何をやったんだよ。。
携帯は購入しそびれた。。
この機会損失、というか時間的精神的手間的(もしかしたら経済的)ダメージが地味に痛い気がする。。
明日はめちゃ久々にラクロスしてくる!
クロス触るのいつぶりかな〜。。
まんちょに怒られないようにちゃんと起きなくてはw
じゃ。