政治家の質は、その国の民度を表す(下) 〜核武装議論をしよう〜

先日、興味深いエントリを見つけた。


フランスの日々:議論後に議論前の結論に至ることにも価値がある


以下、一部抜粋。

何も考えず傾斜が上に向いている方向に進むのが、保守政権=既定路線派で、歩みを止めて周りを見回して考えをめぐらすのが革新政権=新規路線派です。日本は戦後60年、傾斜が上になっている方向にだけ進んでいけば良い時代でしたが、もうそろそろ自分が登っている山が一番高いか考えなおす時代が来ているのです。重要なことは、とにかく高い方へと登山している人から見れば、歩みを止めて自分が登ってきた山が一番高いかどうか考え直している人は怠慢にしか見えません。また、その山より高い山が見つかって今登ってきた山を降り始めれば、状況が悪化しているようにしか見えません。
(中略)
友愛の話でも、子ども手当ての話でも自民党時代に決まった既定路線を見直して新規路線を作り出す努力をすることは今の日本に必要なことではないでしょうか。議論後に議論前の結論に至ることになっても、既定路線が正しかったことが分かればそれはそれで進展です。4年間ぐらい試行錯誤してみればいいのではないでしょうか。


概ね賛成します。そこから民主党が導き出した結論に対して賛同するかはまた別問題ですが。


このエントリを見たときに頭をよぎったこと。
核武装議論。


たまに政治家の偉い人が「核武装」の単語を出そうものなら、マスコミから総バッシング。被爆者が怒る映像が大々的に報道される。彼らの発言の何が問題なのかは論ぜられない。いいのか、それで。
被爆者出身として書いておこう。


核武装議論をすべき!


日本人は「核 = No!」の方程式は、「麻薬 = ダメ!ゼッタイ!」以上に浸透している感がある。
その理由は「悲劇を繰り返してはならない」ということだが、それは安全保障を論ずる上では根拠にならない。というか大抵の日本人は理由なんてわざわざ考えるまでもなく「核 = No!」だ。
でもパキスタンに行くと世論は全く逆となる。国を守るために、核武装することが必要だと、多くの国民が考えている(らしい)。それは、敵対する隣国インドが核を持っているから。核を持つことによる抑止力が、国の安全を守るために必要だという現実的な危機感がすぐそこにあるのだ。


なぜ、日本で核武装が不要なのか。アメリカの「核の傘」の下にいるからに他ならない。日米同盟があるからこそ、我々日本人が徴兵も無く、平和に暮らせることを知るべきだ。だが、夏の平和祈念式典では、被爆地の市長が核の傘の下にいる日本政府を避難する平和宣言なるものを読み上げられたりしている(なんかそんなの読んだことある気がするんだが。。)。


勘違いしないでもらいたいのは、「核武装すべき」と言っているんじゃない。「核武装“議論”すべき」と言っている。
なぜ核武装がいけないのか。なぜ核武装しないのか。核武装したらどうなるのか。そのことを、平和ボケした今、再度議論し、国民みんなで考えることは意義があることだと思うのだが。過去や原爆の悲惨さを学ぶだけでは足りないのだ。


で、個人的には「核武装反対!」です。
世界は軍縮へ向かう。その中で日本は、核の傘の下にいようが、米軍基地を領土内に持とうが、憲法9条を堅持し、平和を訴え続けてほしい。日米同盟が不要になるその日まで。



じゃ。