「危ないからやっちゃダメ!」

昨日、家族連れで賑わうスーパーの脇を通りかかったとき、こんな言葉が飛び込んできた。


「そこは危ないからやめなさい!」


多分段差になったところで、ちょろちょろハシャいでいたちっちゃい子供にお父さんが注意して“やめさせようとしてる”ごくありふれた光景だった。なぜ、オレの耳がこの言葉を拾い、こうも印象に残ってしまったのか。


昨今、「規制」ってのがよく目につくからだろうな。いや、前からあったんだろうけど。
例えば。。


使い捨てライター規制 子ども点火困難に

携帯からのツイッター 高校生「禁止」はおかしい


上記ツイッターの記事で、この問題提起をした高校生ツイーターユーザーのつぶやき抜粋がこちら。

「携帯電話は包丁と同じだ。使いこなせば、便利なツールであり、間違えれば凶器。しかし、早くから使わせないと一生使えない」。

彼はオレもフォローしてるからリアルタイムで見てて凄い盛り上がってたからなんだろうって思ってたんだけど、そういう規制があんのね。一生使えないってのはちょっと言い過ぎだけど。


「不適切な表現」や「安全」への接触が、若いうちに制限されることの弊害。子供のうちに守られて、大人に成った途端に規制のないフリーな世界に放り出されることのリスクを、どう考えるのだろうか。



また、これは未成年というわけではないが、先頃東京都が、表現の自由を脅かすような条例案を出して物議を醸した。(これ、結局どうなったの?)
「文化が滅びる」――都条例「非実在青少年」にちばてつやさん、永井豪さんら危機感


これも「不適切な表現」への接触規制だ。表現の自由の問題とは別に、規制し、抑えつけることによる反発等のリスクは考えないのだろうか。。


規制が大好きなこの国だが、「危険なものに触れさせない」ということが、身近なレベルで無意識に、実践されているんだな、と。自治体や特定の組織、学校の方針だけでなく、個人の子育てレベルからあるものなんだな、と。小学校で、のこぎりやナタを使わせないとか、水場の近くには近づけないとか。
過保護な教育は、大人になったときに直面する危機に対して処し方を知らないという多大なリスクを負わせることになる。


はてなの匿名ダイアリーにこういう投稿が興味深かった。
知らない人についていくなと子供達は教えられる
一部抜粋。

「他人に迷惑をかけるな」と子供のころから言われ続けるが、

他人に迷惑をかけられたら、どうしたらいいのかは一切言われない。


個人的には、自分の体であれば、とりあえずやってみて痛い目見て学べばいいじゃん、って思ってるんだけど、それが自分の子供とか大事な人だったら、やっぱり痛い目合わせたくないっていう気持ちはわからなくもないんだよね。。ただ、本当にその人のことを思うのであれば、痛い目見て学ぶこと、体験することで身につけることをこそ、大事にしたいな。


政治(家)はその国の民度を表す
これを実感する体験でした。


じゃ。