「善悪」という価値判断が好きじゃないんです

ノーベル賞の季節ですね。


2010年のノーベル平和賞は、中国で政治犯として獄中にいる民主活動家だと。


ノーベル平和賞に劉暁波氏/服役中、中国当局の反発必至


何が正義で何が悪なのか。
ものごとの善悪なんて、場所や時代、立場によって異なる。
そのことの象徴的な出来事だなぁ、と感じたんですね。


東西冷戦が終わり、中国も経済的には自由至上主義へと移行し、共産主義が破綻した格好となっている今日。
旧西側の資本主義、民主主義の思想が世界では常識というかマジョリティとなって久しい。ノーベル賞を与える側も、資本主義、民主主義の体制側の価値基準として、民主活動家に彼の賞を与えたわけだが、共産主義共産党一党独裁体制の側からすれば、民主活動家なんてものは体制を揺るがす危険分子でしかない。


リーマンショック以降、資本主義の限界と新たな価値観の必要性が叫ばれたりしているし、経済的には中国やシンガポールのようなある程度独裁的な政治手法が結果を出している今日、まだまだ世界は混沌として変化の真っ只中にある。


今はまぁまぁ一般市民からしたらそれなりに言論の自由が保障されている日本だけど、ほんの数十年前はファシズムであったし、しかもそれが国益になりえた時代もあった。
移ろいゆく世界で恒久的な価値観なんか存在しないのではないか。


だから、善悪とか、正しい・間違いとかではなく、自分の「好き」に出来る限りまっすぐ生きていきたいなぁという思いを新たにする、秋の夜更けです。


ではでは。


暴走する資本主義

暴走する資本主義