傷つくことを厭わないのは何のためか

News week/エジプト:祭りの後、でもまたいつでも祭りは起きる


秀逸な文章だった。いや、良し悪しというよりは、好き、というべきかな。


今回のエジプトでの「政変」を「祭りである」とすることが正しい指摘かどうかはわからない。(参考 彼のtweetはちょっとツッコミどころがあるが。)


しかし、「革命」と称される武力蜂起にも関わらず、この明るさはなんだろう。
昨年バンコクで起こった武力衝突やチベットでの事件でも勿論、オレの乏しい知識の中ではあるが、こんな光景は記憶にない。
大抵、現地ジャーナリストが送る映像や写真からは、殺気だってピリピリした雰囲気のみを感じたものだ。


日本時間で2/11の深夜、twitter上にムバラク辞任のニュースが流れた。
YouTubeで配信されていたアルジャジーラのLIVE映像を眺めながら、「楽しそう」と思ったのを覚えている。


確かに、多くの人々が傷ついたのだろう。
圧政の元で、長年苦しめられてきた人々もいたのだろう。
今回の混乱に乗じて、暴動を起こす身勝手な人々がいた事も聞いている。


それでも、大きな歴史の潮流の中で、そんなものは本流に流されていくわずかな飛沫でしかないのではないかと。


イデオロギーを声高に唱え、徒に危機感を煽り、悲壮感に取り憑かれて運動を行ったのではない。
そういう側面も勿論あろうが、身を削るのは崇高な理想のためではない。
積み重なった不満をぶつけるためのものでもない。
普通の幸せの為、日々繰りかえされる日常の為なんだと。


その実現が現実味を帯び、時代の流れの中で機運が盛り上がった結果が今回の政変の姿なのだと。
辛かった過去に目を向けているのではなく、これから訪れるであろう新たな希望を感じているからこそ、あんなに明るいんじゃないかな。


村上龍の『69』を思い出すね。
楽しく生きることは戦いであると。


リンク先の文章を書いた酒井氏の言葉を借りれば、現在の日本人は、現状に何らかの不満を抱きつつも、現状が倒れたときに訪れるであろう混乱と変動に恐怖を抱いているのだろう。
だが、誰がそれを責められるだろう。世界的に見たら、日本はやはり比較的自由で豊かな国なのだ。
しかし、それもまた恒久的なものではないのだと。
我々は我々の方法で、日々の幸せの為に戦えば良い。


今回の「革命」において、上記のような性質や、ICTによるテクノロジーとネットワークを駆使した新たな情報戦であった点を鑑みると、
「革命」の結果・意義のみでなく、今回の「革命」自体が、歴史に名を残すものとなるのかもしれない。
それと同じ時を過ごしたんだよ。


権力者・既得権者にとっては、怖い時代になったのかもね。
共産主義がいつまで存続するのかな。
倒れる前に、キューバに行ってみたい。


じゃ。


69 sixty nine (文春文庫)

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