「ウサマ・ビンラディンって誰?」に感じる異常

興味深い記事を見つけた。


「ウサマ・ビンラディンって誰?」 Twitterに溢れた若者たちの「戸惑いの呟き」 - ガジェット通信



記事によると、アメリカの10代の子供たちが、ウサマ・ビンラディンの名前を知らず、これだけ大々的に報道されている意味がわからない、というのだ。
タイトルだけ見ると日本人のことだと思ったのだが、これがアメリカ人だとなると話は変わってくる。




あの、世界に衝撃を与えたテロ事件から10年、「テロとの戦い」を声高に表明してから10年で、遂に彼の事件の首謀者を殺害した。
2年ぶり4度目と揶揄し疑問視する見方もあったが、アルカイダがそれを認める声明を発表したらしいのでほぼ間違いないだろう。



日本で、原爆のことを知らない子供はいないだろう。
中国で南京大虐殺を知らない子供もいないだろう。
これは国家的な事件であり、忌むべき出来事であり、また、二度と起こしてはならない教訓とすべきものであり、義務教育では必ずその旨の教育が行われるし、テレビでもその季節になると番組が編成されるのは既知の通りだ。



アメリカにとって、アルカイダは国家を侵略した敵であり、同時多発テロ事件は二度と起こしてはならない教訓とすべきものの筈だ。それもわずか10年前の出来事である。
その首謀者の名前を、アメリカの子供たちが知らない。
ビンラディンを忌み嫌うか否か、殺害を喜ぶかどうかはさておき、「知らない」ということに、違和感を感じないだろうか。
驚きと共に、異常であるとも思うのだ。



一番最初に思い当たる仮説は、メディアや教育機関が「テロとの戦い」をある種タブー視しているのでは、ということ。
大義がグラついたイラク侵攻、長引く米軍のアフガン駐留、かさむ軍事費、増える死傷兵と心に傷を負って帰ってくる兵士・・・。
米軍の問題のみならず逼迫する経済もひっくるめて、「テロとの戦い」は、国費と兵士を浪費する大義なき戦いとなっていたのかもしれない。



だがしかし、冒頭のニュースだけでは本当のことはわからない。
ごく一部の人だけの問題かもしれないし、ごく一部の地域だけの問題かもしれない。(アメリカは道州制だから各州で教育内容が変わるし、報道も違ってくるかもしれない。)



オサマ・ビンラディンというカリスマが亡くなっても、「テロとの戦い」は終わらないだろう。
未曾有のテロ攻撃をうけたアメリカにとって、アメリカ国民にとって、「テロとの戦い」とはどういったものであろうか。



じゃ。




蛇足)
ビンラディンを思うとき、オレはどうしても映画アバターを思い出しちゃうんだよねー。
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