花火と漫画とプログラマ

先日、花火を見に行った。
ローカルな花火大会だったが、意外と(といっちゃ失礼だが)玉数は多かったし、大きかったし、色々趣向が凝らしてあるものも多くて、面白かった。
花火を見てるとまぁいろんなことを思うんだけど、振り返ってみると「面白かった」と思うことってそう無かった気がする。


花火職人、おもしろそうだな。。


プログラマと花火職人って、適正が近いと思う。


どんな火薬を、どのくらいの量で、どこに、どのように詰めるのか。
どんな玉を、どの順番で、どの程度の間隔で、どこから打ち上げるのか。
花火作ったことないからわかんないけど。。


以前、『プログラマというのは物書きである』というエントリを見てとても共感した。
(そのときのエントリ⇒『“表現者”としてのエンジニア
 あーなんかなつかしーというか若いなーというか。あの頃を思い出す。。てかプログラム書き始めて1年も経ってない社会人一年目。。w)


今読み返しても共感を得る。
口は上手くなくてもいいから、言葉を上手く使えるようになりたい、と思い始めたのはもしかしたらこの頃からかもしれない。
そして、プログラムを書くのは好きだけど、環境を構築するのはすこぶる苦手、というかできないということも。。。(言い訳)


そして、最近『プログラマと漫画家〜「何を作る」のか考えたいプログラマと「どう作る」を追求するプログラマ - Social Change!』というエントリを見つけた。

プログラマには「何を作る」のか考えられるプログラマと「どう作る」を追求するプログラマの2種類いる。どっちが優劣ではなく違いがある。漫画家で言うと、独りで全て出来る人と、原作と作画が分かれて作画を追求する人。そう考えてプログラマは漫画家に似てると思った。
http://twitter.com/#!/kuranuki/status/107815093332492289

では、プログラマは土方ではなく何に似ているか。あるとき「漫画家」が近いのではないか、と思うようになりました。プログラムを作るときは、何を作るのかを考える時間と、どうやって作るかを考える時間があります。どちらも創造性が必要ですが、使う脳みそが違うように思います。漫画で言えば、原作を考えることと、作画をすることに分かれていることに近いように思います。


うん、なんとなくわかる気がする。
そして、(残念ながら)今の自分はハッキリ後者のプログラマだな。。
「作ること」「書くこと」が楽しい。
でも、「何を作るか」というのが一番大事なのは知っている。
エンジニアという立場で言えば、少なくとも自分はそう思う。


自分で発想して、自分でそれを形にする。
与えられた事案を作るだけでは、永遠に充足はしない気がするし、いつまでもこの業界では生きていけない気がするな。。
まぁどこでも同じか。圧倒的なスキルでも無い限りは。。



いろんな分野に適正はある。
いろんなものに触れて、考えて、イメージして、それをカタチにできるようになれたらいいなぁ。。



じゃ。