大河ドラマ『平清盛』 第26回にモノ申す!!

前回は今年の大河、平清盛についてのエントリでしたが。
久々のエントリもまた大河です。清盛です。


保元の乱平治の乱を経て、これまで清盛の関わってきた多くの人が命を落としていく。
その中で、この半年かけて張ってきた伏線が一挙に収束していく様に、脚本の妙を感じますね。
素晴らしい!!
ここから先も目が離せません。一話も見逃したくない!
低視聴率なんてウソのような素晴らしい出来栄えです。



さて、7/1の第26回は信西の最期のシーンでした。
平治の乱で襲撃を受け追われた信西が、地面に掘らせた穴の中に身を潜めるシーンに、清盛と信西の初対面シーンがフィードバックします。
(穴に身を落としたのは、自殺するためか、隠れて生き延びるためか??NHKは生きるため説を取りました。)
激動の時代と謎に包まれた出生のため、アイデンティティにコンプレックスを持つ若き日の清盛が、平氏の棟梁へと成長した姿もハイライトといえるでしょう。



が、しかし!!
個人的には残念ながら、沸き立つTLと裏腹にいまひとつ感動しきれなかった。。
何か違和感を感じていました。
そして後からやっとわかった。


清盛が信西を救おうとするその動機に違和感を禁じ得なかったのだよね。


平家一門の大勢が、保元の乱で敗軍の将であった清盛の叔父忠正に斬首の沙汰を下した信西に憎悪に近い思いを抱いていた。
清盛がその後、信西と組んで出世していくのに疑問を持つものもいたような描写だった。
クーデターで信西の地位や命が危うくなっても、平家一門の将来をかけてまで積極的に助けようと思うものは少なかった。
子の重盛は、清盛に向かって面と向かってその疑問を口にした。叔父を奪われた、あくまで感情的な意見であった。


しかし、清盛の反論もまた、個人的な感情に基づく意見であった。
これまでの信西との交流を回想し、あげく「友を助ける」とのたまって馬を走らせた。
そうじゃないでしょ、そうじゃ。。



と、いうことで、個人的にこのシーンの脚本を書くのであれば、こういうセリフを言わせたい。
重盛の、一門の危険を冒してまで信西を助けるべきではないという意見に対して。



「武士の世のためじゃ。

 先の院が政をされていたときを覚えているか。
 貴族は己の道楽に溺れ、地位ばかりに固執し、民の暮らしなど見向きもせぬ。
 武士はその身勝手な振る舞いに利用されるのみじゃ。

 しかし、信西殿の政は違う。
 この国を富ませることを本気で考え、その為の人材を重用し、財を取り仕切っておる。
 そして我ら平氏にも、朝廷において十分な力を与えてくれる。
 我ら武士が、朝廷に対して十分な力を持てるようになった時、その時が即ち武士の世となろう。
 我らが新しき豊かな国をつくることができる世じゃ。
 その時には、共に武士として義朝とも力を合わせて世を動かしていくのだ。」


そう、そしてここであのシーンが伏線として生きてくるのです。
清盛の父忠盛が、義朝の父為義に襲われるシーン。
このシーンで忠盛が為義に放ったこのセリフ。


平氏と源氏、どちらが強いか。
 それは武士が朝廷に対して十分な力を持った時のために、とっておいてはくれぬか。」


まぁこのセリフはおそらく、来週義朝が逝く時にでも回想されるんでしょうけどね。
どうでしょうかー。


ちなみに毎週土曜日の13:05から、前回の放送の再放送があります。
日曜日に見れなかった人は是非見てみてね。


じゃ。