人間はいずれ神になる

もう先週の話だが、SBRwC(Social Book Reading with Chikirin)のTLを眺めていた。
これは、『クラウドからAIへ』を課題図書として、感想などをTwitterでつぶやき、シェアするというもの。



クラウドからAIへ (朝日新書)

クラウドからAIへ (朝日新書)



自分でもいくつかつぶやいたところ、レスポンスも来て、Twitter久しぶりだったけど楽しかった。(レスくれた人がまさか課題図書の著者だったというのは後から気づいてビックリ。。)



AIについて、ビッグデータについて、ロボット工学について、思考や感情をコンピュータが持つことについて、色々考える機会となって楽しい企画だった。



その中で思ったこと。
NHKスペシャルでやっててちょっと印象的だった次の内容。





脳の動きを科学的に完全に解明しなくても、再現させなくても、その一論説を参考に、応用研究がなされ、もしかしたら、思考・感情を持つコンピュータを作ることができる(かも知れない)。
これはもはや人間が神になる、ということではなかろうか。



神には二通りの意味がある。
1)人智を超えた万能の存在。
2)創造主としての存在。



後者の意味で、人間はいずれ、神になる。



感情や思考を持つ人工物を作ったとき、その感情や思考がプログラムされたアルゴリズムとしてのアプローチではなく統計・確率的なアプローチによって作られたとき、その人工的な感情を持つモノの中から、いずれは創造主に反したり、自分達の権利を声高に叫ぶモノが出てくることは想像に難くない。
であるならば、その感情や思考の中に、創造主たる人間には背かないこと、畏れ敬うことをプログラムとして組み込む必要があることは当然誰もが思い至るところであるはず。



さて、ここで、宗教なくして科学は発達し得なかった、という論説がある。
人間にとって、理解不可能なことや抗い得ない自然の脅威を、古代の人間はそれを神の仕業として崇め奉ったのが宗教の興り。
それらを解明・理解し、果ては自らの力としてきたのが科学の発展だ。



そして、その探求の歴史の果てに自らが神となったとき、人間はなお、宗教を、神を、信じることはできるのか、と。



このことを考えている中で、今まで神の存在を信じていなかった自分だが、もしかすると神が存在するのかもしれない、という考えが自分の中で芽生えてきた。
勿論、創造主としての、神である。



人間はいずれ、創造主としての神になる。
しかしそれは、無機物から作られたボディに電子回路を積んだ知性体を、個体レベルで作成することだ。



そのような個体レベルではない、より大きな、畏怖すべき力を持った神の存在があるのかも、という考えが湧いてきている。
生物の身体や脳の仕組みは勿論、それだけではない、地球や太陽系だけでもない、宇宙の存在そのもの、我々が認知する万物の構造全ての、創造主がいるのではないか、と。



人間がこうして神になることができるのだ。
我々には及びもつかない、より高度なテクノロジーでもって、宇宙の構造を作り出した知性体がいても不思議ではないかもしれない。



創造主は、生物らの知能では理解し得ない、または抗い得ない大きな力を、神の仕業として畏怖するよう、本能にインプットした。
しかし、その生物が、それらの謎を解明し、自然を制御しようとし、果ては神になることまでは想定していなかったかもしれない。
創造主もまた、この世界を、統計・確率的なアプローチで設計していたのだとしたら。
機械学習のように、世界が自律的に進化していくように設計しているのだとしたら。
それとも、それもまた、創造主にとっては想定していた進化なのだろうか。






宗教から発し、科学という力を得ながら、またオカルト回帰していく人智の不思議。
いや、高度すぎる科学は、もはや魔法かオカルトか、って世界かもなぁ…。