MacにRのインストール
こちらを参考に。
http://qiita.com/dkkoma/items/8b45ce94c2c5d89d567f
brew update
して
brew tap homebrew/science
すると、なんか色々installしろと言われる…?(うろ覚え)
brew install R
してみる。
時間かかったけど、インストールできたヽ(=´▽`=)ノ
http://learningr.hatenablog.com/entry/2011/12/26/185627
(…てか未だにLionて。。いい加減アップグレードせなな。。)
移ろいゆく世界
先日、「遊べる本屋」で何気なしにバックパッカー本を手にとった。
軽い衝撃を受けた。
バックパッカーの聖地、タイ・カオサンロードが歓楽街化し地価が高騰、かつての安宿街は様変わりだとか。
「アジアの旅はカオサンから始まる」と言われたのも今は昔、時代は移ろう。
狭い路地を牛が跋扈するインド・オールドデリーもまた、劇的に変わっていくのだろう。
昨年行ったキューバもまた。
日用品は配給が行われ、街中を走る車のほとんどがクラシックカーの社会主義国と、資本主義大国の国交正常化。
いったいどう変わっていくのだろう。
キューバを、フォードやクライスラーのオートマ車が走るようになるのだろうか。
マクドナルドやケンタッキーで、iPhone をイジる若者がたむろすようになるのだろうか。
(アメリカの狙いがよくわからんけどなぁ…まだ先かなぁ)
何年後かにまた行ってみたい、と思うと同時に、まだ行ったことのない国にももっともっと行きたいと思った。
早ければ早いほどいい。
どう望んでも、もうソ連やユーゴスラビアに行くことはできないのだから。
円安…(´;ω;`)
■
人は、苦しい局面でこそ大きく成長する。
耐え忍んでいてはダメだ。
苦難に対して、如何にその局面を打開し乗り越えられるかを、考え、挑戦することにこそ、成長がある。
環境を変えるのか、自分が変わるのか、方法はそれぞれだ。
逃げていては何も変わらない。
また同じような苦難が訪れても、打開する経験もスキルも培うことができない。
立ち向かわなければ、死ぬまで同じことの繰り返しだ。
憲法9条とノーベル平和賞
核の傘に守られた憲法9条に、ノーベル平和賞の価値などあるのか。
誰も抱く疑問だろう。
そして、当然のように受賞はしなかったが、来年以降もまた候補に上げられる可能性はある。
参考:「候補」の敷居は低いノーベル平和賞(dragoner)
(結論がこの記事と被ってしまったけどまぁ。。)
万が一、憲法9条がノーベル平和賞を受賞するようなことがあると、強い危機感を抱かざるをえない。
2009年、オバマ大統領のノーベル平和賞受賞。
多くの人が疑問に思ったこの受賞には、混沌とする世界情勢の中、アメリカの動向をけん制する政治的思惑が見え隠れする。
実際そうかはわからないが、そう取られかねないタイミングだろう。
そして、2014年現在。
アメリカの、テロとの戦い、イスラム圏との戦いは、激しさを増す。
万が一、憲法9条がノーベル平和賞を受賞するとき。
それはおそらく、憲法9条の理念が失われる可能性があるときか、又は解釈により、その理念が歪められるときだろう。
そして、日本の集団的自衛権行使、或いは戦争への参加によって、世界平和が後退する危機をはらむタイミングだと想像する。
背筋の寒くなる想像である。
それはそうと、世相を映すという意味でノーベル平和賞はノーベル賞中もっとも興味深い賞ではある。
パキスタンとインドは仲悪いし、イスラム武装勢力への牽制とも受け取れる、2014年の受賞ですね。
人間はいずれ神になる
もう先週の話だが、SBRwC(Social Book Reading with Chikirin)のTLを眺めていた。
これは、『クラウドからAIへ』を課題図書として、感想などをTwitterでつぶやき、シェアするというもの。
- 作者: 小林雅一
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
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自分でもいくつかつぶやいたところ、レスポンスも来て、Twitter久しぶりだったけど楽しかった。(レスくれた人がまさか課題図書の著者だったというのは後から気づいてビックリ。。)
AIについて、ビッグデータについて、ロボット工学について、思考や感情をコンピュータが持つことについて、色々考える機会となって楽しい企画だった。
その中で思ったこと。
NHKスペシャルでやっててちょっと印象的だった次の内容。
@mkoba1000 NHKスペシャルか何かで人間の「意識」の研究の話があって、 感情を司るのは脳の一定の「部分」ではなく、神経細胞同士の電気通信のパターンに依る、みたいない学説があるそうです。これを解析して再現できれば、コンピュータが感情を持つことも可能と。#SBR3
— koga hiroshi (@kogacchi) 2014, 9月 28
脳の動きを科学的に完全に解明しなくても、再現させなくても、その一論説を参考に、応用研究がなされ、もしかしたら、思考・感情を持つコンピュータを作ることができる(かも知れない)。
これはもはや人間が神になる、ということではなかろうか。
神には二通りの意味がある。
1)人智を超えた万能の存在。
2)創造主としての存在。
後者の意味で、人間はいずれ、神になる。
感情や思考を持つ人工物を作ったとき、その感情や思考がプログラムされたアルゴリズムとしてのアプローチではなく統計・確率的なアプローチによって作られたとき、その人工的な感情を持つモノの中から、いずれは創造主に反したり、自分達の権利を声高に叫ぶモノが出てくることは想像に難くない。
であるならば、その感情や思考の中に、創造主たる人間には背かないこと、畏れ敬うことをプログラムとして組み込む必要があることは当然誰もが思い至るところであるはず。
さて、ここで、宗教なくして科学は発達し得なかった、という論説がある。
人間にとって、理解不可能なことや抗い得ない自然の脅威を、古代の人間はそれを神の仕業として崇め奉ったのが宗教の興り。
それらを解明・理解し、果ては自らの力としてきたのが科学の発展だ。
そして、その探求の歴史の果てに自らが神となったとき、人間はなお、宗教を、神を、信じることはできるのか、と。
このことを考えている中で、今まで神の存在を信じていなかった自分だが、もしかすると神が存在するのかもしれない、という考えが自分の中で芽生えてきた。
勿論、創造主としての、神である。
人間はいずれ、創造主としての神になる。
しかしそれは、無機物から作られたボディに電子回路を積んだ知性体を、個体レベルで作成することだ。
そのような個体レベルではない、より大きな、畏怖すべき力を持った神の存在があるのかも、という考えが湧いてきている。
生物の身体や脳の仕組みは勿論、それだけではない、地球や太陽系だけでもない、宇宙の存在そのもの、我々が認知する万物の構造全ての、創造主がいるのではないか、と。
人間がこうして神になることができるのだ。
我々には及びもつかない、より高度なテクノロジーでもって、宇宙の構造を作り出した知性体がいても不思議ではないかもしれない。
創造主は、生物らの知能では理解し得ない、または抗い得ない大きな力を、神の仕業として畏怖するよう、本能にインプットした。
しかし、その生物が、それらの謎を解明し、自然を制御しようとし、果ては神になることまでは想定していなかったかもしれない。
創造主もまた、この世界を、統計・確率的なアプローチで設計していたのだとしたら。
機械学習のように、世界が自律的に進化していくように設計しているのだとしたら。
それとも、それもまた、創造主にとっては想定していた進化なのだろうか。
宗教から発し、科学という力を得ながら、またオカルト回帰していく人智の不思議。
いや、高度すぎる科学は、もはや魔法かオカルトか、って世界かもなぁ…。
中村修二氏、ノーベル物理学賞おめでとうございます
ノーベル物理学賞に赤崎勇・天野浩・中村修二の3氏:朝日新聞デジタル
GaN(窒化ガリウム)のLEDを大学の研究室でかじっていた身としては、親近感も感じる(失礼!)嬉しいニュースでした。
いつか受賞するとは思っていたけど、やはり驚きはあったかな。
基礎研究ではなく実用的な発明で物理学賞を授与って珍しい気がするけどどうなんだろう。
大規模ではない企業の研究者だから、実利的な結果も残す必要があったんだろうけど、ニュースで経済的な意義ばかり強調されるのって、ちょっとモヤッとするね。
科学者は実益ではなく、人類の好奇心と叡智の結晶としての成果を出して欲しい!
「この研究は何の役に立つんですか?」とかいう記者の質問は野暮だよ。
(このご時世、それを説明できる研究者じゃないと研究資金得られないんだけど。。涙)
彼の功績として、青色LEDの実用化はやはり偉大なのだけれど、日亜化学との200億訴訟というのも大きいよね。
一会社員の研究者が偉大な発明を成し遂げ、その正当な報酬を得る前例を築いたことで、それ以降の研究者・科学者には一つ、夢を与えたかなと。
その後の、企業の研究者への報酬がどう変わったのかは知らないけれど。
訴訟のときに、腐るほど言われたことではあるんだろうけど、そんなことを思い出していた。
怒りのブレイクスルー 常識に背を向けたとき「青い光」が見えてきた
- 作者: 中村修二
- 出版社/メーカー: ホーム社
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- メディア: 単行本
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吉田調書
『吉田調書』とやらをKindleに落として読んでいる。
原発事故自体への興味というのは(時間の経過のせいもあるだろうけど)それほど強い興味は無いのだけれど、この調書にはスゴく興味を惹かれた。
国の政策方針を、いや、国の存亡をも左右しかねない大惨事を目の前にして、その現場責任者が何を考え、どう行動したのか。
その生々しい取り調べの記録が無償公開されると。
この調書で語られたことが真実かどうかはわからないけど、裁判記録のようなわかりにくい文体ではなく、綺麗にまとめられたドキュメンタリーでもなく、インタビュー録音をそのまま起こしたかのような文章は、ノンフィクションとしての生々しさは真に迫るものがある。
当初公開されない予定だったこれらの調書が公開されたのは、マスコミによる報道の食い違いで憶測や虚報がひとり歩きすることを憂いたため。
ジャーナリズムの信用の失墜というか、もはや情報はソースを得て自分の目で確認し、判断しなければいけない時代なんだね。。(悲哀
これを公開することによる意義は小さくはないと思うけれど、今回は(上手くまとめきれなかったので)この原文を読むことで率直にダイレクトに感じたことをメモ。
◆有事の際の考え方
「ヤバいこと」が起きたときの対処方法。
東電が組織としてどのような体制で事にあたったかが、吉田調書序盤のインタビュー内容だ。
トラブルの発生、徐々に明らかになっていく事態の深刻さと、現場と東電本社・官邸との意識の乖離。現場の人間視点でこれを眺めるのは、踊る大捜査線を彷彿とさせるものだった。
有事の際に如何に味方を増やし、敵をなくすのか、永遠の課題なのかもしれない。
このことによって抱える現場責任者と憤りがストレートに伝わってくる。
◆リーダーとしての行動
有事の際に何をなすべきか。
このことについての吉田所長の言動は明快だ。
常に、状況把握を行い、その時点での最善に向けて邁進する。それ以外のことは意に介さない。(首相の乗ったヘリに向かって放射性物質の混じった機体が拡散されたとしても!官邸の意に沿わない海水注入も!)
現場のリーダーとして、今何が最も重要か、わかっている人間の覚悟と責任感が伝わってくる。
古典は原文を読むべし派の自分としては、吉田調書についても、全てを理解せずともまずは原文を読むことはやはり意義深い。
きっとこれを読んだジャーナリストが、色々な説明や解釈を加えたわかりやすい本を書いてくれるんだろうけれど、自分がまずオリジナルを目にして何を考え、感じたかを大事にしたい。
蛇足ではあるが。
k2pdfopt というソフトでPDFをKindle用にフォーマットして読んでるけど、むちゃくちゃ読みづらい。
フォーマット前はKindleでは読めないので、読めるようになったという点ではいいんだけど、この調書のフォーマットは特殊なのかな?
大量のPDFを手軽に読むのって結構ハードル高いんだよね。
Kindleがそれを読みやすいフォーマットで実現してくれたら、Kindleの価値は更に上がるのだけれど。
現状、Kindleに入れることはできるけど、電子書籍なら可能な、文章を選んでハイライトしたり、ページにしおりやメモを残したりができないし。
この辺も、Amazonが解決してくれないかなぁー。